3連休最終日に書くことでもないが

EVERYDAY 絶好調!!の発売記念イベントに行きまして
まあ、何て言うか
ホントもうダメだな、と
ダメかもわからんね、じゃなくて
もうダメ、墜落



いや、何が、って
終わった後、飯兼飲みに行ったけど
頭の中が愛理のことで一杯一杯なのさ
もう『愛理』って言葉しか出ない状況
何を聞かれても答えは『愛理』
しかも先週の名古屋もそうだっけど
愛理の後ってお腹が一杯なのね
いや、別に何も食べてないし
飲み物もせいぜい500mLのペットボトル1本
そういえば今回のツアー
キューティJUMPって言う割に
実は忘れたくないやAB℃よりも跳んでない
まあ、ベクトルとかYAMFじゃなくて
残暑なんで当然といえば当然
ま、そんなわけでいつもよりは全然飲まない
兎に角、そんな状況でも最近、愛理の後はお腹一杯
この日もそう
愛理から出てきたらもうお腹一杯
しかも愛理で既に酩酊状態にあるところに
酒なんか飲んだら
向精神薬と同時に飲酒するような
何かもう大臣とか辞めさせられそうになるわけで
そんなわけで全然飲めないし食べれない
その上、喋れない、と
お前、何しに来たの?状態



そんなわけで、とりあえず3連休2日目以降は愛理断ちをしようと、と
まずはレコーダに貯まっていた白い巨塔の再放送を見ていたわけで
…まあ、そこに至るまでに
イベントVのAiri Suzuki Close-Up Ver.を延々とシングルリピートしてましたがね



で、見ていた白い巨塔でこんな話がありまして
MRとして営業に来た36歳の女性が
ドラマの舞台である浪速病院内でぶっ倒れて
緊急入院、そして診断の結果、末期癌で余命3ヶ月
で、話としては
国立大学である浪速大学
先端医療をより効率よく多くの人に提供するべきだ
いや、浪速大学ターミナルケアというものを考えるべきだ
その二つの意見で揺れ動くわけですが
それを見てこの在家信者が考えたのは
自分の最期のこと



もし、自分が最期の日を迎えるなら
どんな最期がいいか?
そう考えたとき
まず思ったのが
この世の最期に見るもののこと
それが鈴木愛理だったらどれほど素晴らしいことか
それだったら如何に早死にでも
嗚呼…いい人生だったなあ
そう納得できるな、と思ったわけで



不思議と愛理に見取られたい、とか
そういうのはないんですがね
ただ、この世で最期に網膜へ焼き付けたいもの
それは『鈴木愛理』である、と
いや、理想とすればね
他人への迷惑を全く持って考えなければ
Yes! all my familyで愛理が下手にはけていく
愛理が完全に見えなくなった次の瞬間
心臓が止まり全てが終わる
コレが理想
しかしながら、この場合は他人に多大なる迷惑がかかることは確実
下手すればコンサートの中断
ひいては愛理に迷惑がかかる可能性すらあるわけで
流石に我が理想と引き換えに
愛理に迷惑を掛けたいとは思わないわけで



で、考えた最高のシチュエーション
それは病院のベッドサイドの小さなテレビ
そこにはDVDプレイヤーがつながれており
ブラウン管にはYes! all my familyを歌う愛理の姿
同じ局を延々と繰り返し再生し
そのブラウン管の愛理と
自分のかも知れない緑のサイリウムを眺めているうちに
いつの間にやらついついうっかり寝てしまい
そしてそのまま…
ついついうっかり心臓を止めてしまう
そしてそのまま…
そう、愛理を最期に網膜に焼付け
そして愛理の歌声で送ってもらう
これこそ究極のターミナルケア



多分、昔の…それこそ20代の自分なら
愛理のために思いっきり跳んで
そしてそのまま死にたい
そう思ったであろうが
30代の自分は
例え間接的であれ愛理の笑顔と歌声で送られれば
それ以上何も必要ないじゃないか、と
そんな風にシンプルに考えてしまい
派手ではなく、静かに落ち着いて送って欲しい、と思う当たり
ちょっぴり大人になったんだろうなあ、と
そう思った次第
うん、まあ、まともな大人は
こんなことを考えもしないはずだけどね



嗚呼…愛理ぃ…