市川で思ったこと

愛理のソロが好きなんだ
でも、愛理のソロコンサートが無い以上
℃-uteの愛理かBuono!の愛理を見に行くしか
他に手段がない
故に困っている



市川でのコンサートを見ていた時
気付いたことがあった
それは何かと言うと
『愛理のソロは℃-uteじゃない』
と言う事



例えば同じソロで歌っている舞美ちゃん
舞美ちゃん
℃-uteのコンサートで℃-uteの曲として
 ℃-ute矢島舞美として歌っている』
そんな感じ
アルバムなどに収録されている
ユニット内での選抜メンバーによる楽曲というものは
全員で歌っていなくとも
やはりそれはそのユニットの曲、という感が普通はあるし
舞美ちゃんのソロはそういった
ユニット内選抜の延長上にあるように見えるのである



それに対して愛理の場合
それは愛理の歌になるのだ
通学ベクトルもYes! All My Familyも
そして今回の
「暑中 お見舞い申し上げます。」
にしてもだ
どれも℃-ute鈴木愛理が選抜された結果
一人で歌っているのではなく
最初からソロシンガーとして鈴木愛理が歌っている
そのように思われて仕方ない



それは会場内の雰囲気にも如実に現れている
舞美ちゃんのソロはコンサートの流れを止めたりはしない
寧ろ加速させることすらある
まあ、それは彼女に与えられている曲が
コンサートを加速させる要素を多分に含んでいるということもあるが
それにしても、決して流れを切る事はない



それに対して鈴木愛理のソロは
そこで流れがブツッと切れてしまう
コンサートに不連続性を発生させてしまうのだ
そう、それは昔見た
モーニング娘。のコンサートに
売り出し中の松浦亜弥がゲストとして現れて
そこで娘。のコンサートとして不連続性が生じたような
そんな他の歌手が出てきたような
そんな不連続性を鈴木愛理のソロに感じるのだ
そして終わった後
自分の心が℃-uteのコンサートに復帰するのに
幾許かの時間を必要とするのである



そしてそんな風に感じてしまう今の自分は
あややがゲストとして出ている娘。コンに行くあややヲタのような
まのコンのに行くS/mileageヲタのような
そんな存在なんだと思えてくる
そう、℃-uteのコンサートに
ソロシンガー鈴木愛理を目的に来ている存在なのだ、と



鈴木愛理を目当てに℃-uteのコンサートに行く
一見、普通のヲタの行動と言えるが
しかし、実際はそうじゃない
あややヲタが娘。に対して思うように
S/mileageヲタが真野ちゃんに対して思うように
ソロシンガー鈴木愛理ヲタとして
℃-uteを見ている自分に市川で気付いてしまったのだ
それはS/mileage真野恵里菜でないように
ソロシンガー鈴木愛理℃-uteではないのである
そういうことなんだと



そして自分は
S/mileageが単独コンサートを出来ないから
ヲタが真野コンに行くしかないように
鈴木愛理のソロコンサートが無い以上
粛々として℃-uteコンに通うのである
いつかSSAで単独コンサートが開かれる日を夢見て…



嗚呼…愛理ぃ…