何故、突如としてこのブログを書き始めたか

前に更新したのが4月末
そして4ヵ月半ぶりの昨日
市川のキューティージャンプの事を書いたわけで
何故、突如として更新再開したか
それについて書こうと思う



市川にて
「残暑 お見舞い申し上げます。」
を聴いてからというものの
自分の中である変化が起こったのだ



その変化に気付いたきっかけは
友人と酒を飲んでいた時だった
酒を飲み気を緩めて話をしていると
唐突に愛理の話をしたくなる…
いや、してしまうのである
口を開くたびに
『愛理』という言葉を発しないと
話が出来ず
また、『愛理』という言葉を発した以上
愛理の話をせざる得ないわけである
そして恐るべきことに
どのような話の流れからでも
愛理に繋げて話をしようとしてしまう…
いや、愛理に話を繋げないと
言葉が出てこなくなったのだ



しかしながら
言うまでもなく
愛理に話にそれほどまだに需要があるわけもなく
あまりにそのような態度でいれば
場の雰囲気を悪くすることは容易に想像がつく



故に自分は
それに気付いて以降
酒席では決して気を緩めることなく
また、口を開ければ如何に集中していても
『愛理』という呪文が漏れ出ることは間違いないので
出来る限り喋らない様にしてきた



しかしそのようなことをすればするほど
『愛理』という単語は自分の頭の中を駆け巡り
ヲタ活動とは全然関係の無い
真面目な考え事をしているときすら
愛理が邪魔してくるのである
そう、このまま
『愛理』という呪文を脳内に封じ込めておけば
いずれ近いうちに日常生活に多大なる悪影響を及ぼし
最終的には自分の頭の中は
愛理で占拠されることが予想された



そこで思い出したのが
『王様の耳はロバの耳』の話
王様の耳がロバの耳であることを知っている床屋が
その秘密を話すことを禁じられていて
ストレスが積もりに積もって最後にとった手段
それは井戸に向かって大声で叫ぶことであった…
というあの話
そう、延々と溜め続けると精神がおかしくなる
だから井戸にでもいいから叫べばいいのである
しかし、水道が発達した現代日本において
敷地内に井戸を持つ家は極端に少なく
そして自分の家もその例外ではなく
井戸などはない
かと言って、他所の家の井戸に向かって
『愛理』と叫ぶのは
31歳バイオベンチャー研究員として
いや、一社会人として憚れる



そこで思い出したのがこのブログの存在である
他の国ではブログというものは
テレビや新聞といった
既存マスメディアによる発信手段を持たない専門家が
情報発信をするために存在しているが
行方不明者を含まない年間自殺者3万人を超える
世界最高の高ストレス社会を形成する我が国においては
ブログは『井戸』なのである
そしてブログ=井戸故に
この国は世界最大のブログ国家になってしまったのである
いや、そんな話はどうでもよくて
この誰も見てやいないであろうブログ
ここで思う存分
『愛理』と言おう
『愛理』と言いまくるんだ
『愛理』
『愛理』
『愛理』
『愛理』
『あいりぃいいいいいいいい



…ハァハァハァ
とりあえずそういうことで
床屋が王様の耳はロバの耳と叫ぶが如く
自分が気がすむまで
『愛理』
と言い続ける
そのためにブログを再開したわけである



嗚呼…愛理ぃ…