地球規模で考えてみる

そんなわけで
母上の都合で毎週水曜は外食な在家信者です
そんな在家信者が外食のたびに行ってしまうのが
『ラーメン荘 地球規模で考えろ』

いわゆる二郎インスパイアな京都のラーメン?屋さん



この『地球規模で考えろ』
今年の3/6に開店したのですが
もともとは一乗寺にある『ラーメン荘 夢を語れ』の二号店として出来まして
『夢を語れ』とともに
『二郎が食べたい、でも東京には行けない』
そんな関西在住のジロリアンの禁断症状を抑えておりました



で、今日も水曜なんで食べてきたんですがね
最近、ここのラーメンが凄く好きだなー
凄くいいなーと思うんです



そう、ここのはラーメンなんですよね
もともと二郎でラーメンという名前で提供される食物
あれは…『二郎』という食べ物なんですよね
昔、天下一品のラーメンを
『アレはラーメンではなく天一というスープパスタの一種』
そう言ってましたが
いや、二郎を食べた後では
あの天一はラーメンだ、と
それくらいラーメンじゃない何かなんです、二郎は
しかしながら、二郎っていうのはある意味ではものすごくラーメンで
ラーメンの3大要素は
『麺』『スープ』『具』だと思うんですが
まず麺は独特の太麺を勘弁して下さいって位の量で
麺好きの『麺が食べたい!』という欲求を極限までに満たし
スープはつけ麺のスープと見紛うばかりに
脂も醤油もふんだんに投入され
全てにおいて濃く作られており
その濃さに負けないように
まあ、決して誉められたことじゃないかも知れませんが
タップリのグルタミン酸ナトリウムを添加し
旨みを極限に追求し
そんでもって単独の焼豚としても成立するくらいの
美味いチャーシューをこれでもかっ!とばかりに
そして美味しく茹でられた山盛りの野菜
そう、本当に文字通りの山盛りの野菜を載せ
具に関しても量も質も満足させてくれる
ラーメンとしての要素、ラーメンに求められている欲求
それを極限まで追求し
バランスと美的感覚を見失い
その結果、ラーメンから逸脱してしまった食べ物
それが『二郎』という食べ物だと思うんですが
ここのはそんな『二郎』とはちょっと違うんですよね



何が違うって
脂のキツさや化調のきき具合が弱いんです
最近、特にその傾向が顕著に見られるんです
もともとは1号店の『夢を語れ』と同じように
二郎っぽかったのが
どんどん二郎から逸脱して
ラーメンに近付いて来ているのです



もちろん、ラーメンよりは遥かに二郎です
いや、大体、ラーメンなら300gの麺は食べられません
普通のラーメンなら満腹云々抜きに飽きます
あれはスープを飲めるギリギリまで濃くして
つけ麺のようにスープを絡ませる
いや、絡ませるというより間接的にスープを飲みながら
麺を食べさせることで
何とか飽きずに済んでいるわけで
その要件は満たしているんです
その要件を満たしつつ
ギリギリまで脂を薄く、化調も抑えて調製しているのです



まあ、でもね
残念ながらこの試み
あまり上手く行ってないようにも思えるわけで
というのも、此処に来るのは『ジロリアン』なわけで
ラーメンではなく『二郎』を食べに
というより、『二郎』の禁断症状を抑えるためにやってくるような人で
そういう人からすれば
二郎の尖った部分を丸く収めている
現状の『地球規模』は『二郎』としては
不満な出来に思えることでしょう
自分の周りの『地球規模』に来る人間も
『二郎』として失格、とよく言っております



でもね、自分は敢えてこの二郎から逸脱した
いや、『二郎』を進化させたこの『ラーメン』が
最近、好ましく思えてならないのです
確かに『二郎』としては退化しているかも知れません
『二郎』としての進化の方向性としては
より脂を、より醤油を、より化調を
より尖った、より二郎らしい二郎
それが正しいのかも知れません
しかしながら、この『二郎』的な『麺』と『スープ』と『具』を守りつつ
その中で調和をとりラーメンに落ち着かせていく
それは料理としては進化だと思うのです
それにね、また京都らしいじゃないですか
東京のイナカモンのラーメンを
そのまま真似するんじゃなくて
何となくコッソリ改造していくヤラしさとかね



そんなわけでね、最近、『二郎』としては評判が芳しくない
しかしながら『二郎』以上の何かになりつつある
そんな『地球規模で考えろ』のラーメンに
今まで以上にハマりつつあるわけでありまして…