アイドルとしての純度

そんなわけでMusic Japanを見る
Bye Bye Bye!の数少ないいいところとして
無理な音がないからこういう世間一般に晒すときに
下手に見えなくて済むことかな、と
とりあえずまあ、無難
つーか、最後愛理愛理うるせぇ
そこはかっぱ様だろうに



まあ、それはさておき
まあ、これ以上なく無難に終わったMJ
これで気になったのは℃-uteより寧ろ渡り廊下走り隊
いやね、AKBをマジマジ見る機会ってのは
教団に入信しているとなかなかないんで
まあ、どんなもんだか、と見ていたんですが
うん、気持ちは分かるかな、と
何って、あっち(AKB)に行く人間の気持ち



いや、教徒の主観なんで全くアテになりませんけど
まあ、顔も歌もダンスもそして何よりありがたさも
かっぱ様と比較するものを何一つ感じませんでしたが
でもね、何て言うか
アイドルとしての純度、と言う意味では
ハローとは比べ物にならないくらい高いなあ、と
そう思ったわけで



ぶっちゃけて言ってしまえば
アイドルにとって実は歌もダンスも不純物だと思うんです
アイドルっていうのはあくまで擬似恋愛対象である、と
そう、非モテが恋愛をイメージする憑代
それがアイドルである、と
アイドルの歌やダンスってのは
言わば高校生の部活動のようなもので
高校球児に恋する女の子が球場で彼等を応援するような感覚で
本質は野球でも応援でもなく恋愛であるように
僕らヲタが彼女達を応援して
あたかも一緒に走っているかのように錯覚する
その本質は実は歌でもダンスでもなく恋愛なのかな、と



そういう意味で渡り廊下走り隊
ひいてはAKB48ってのは
本当に純度が高いなあ、と
衣装、音楽性、ダンス、そして容姿
あとあのプロレス的なストーリーメイキング
全てにおいてハローより遥かに擬似恋愛の対象としては完璧だな、と
だからより純度の高いアイドルを求めて
あっちに行って帰ってこなくなる奴が続出するのも
それは仕方ないなあ、と
何かそんな事を思った次第