格差社会

さて、本日はホワイトデー
とはいえ、バレンタインデーにチョコをもらっていない自分には
何の関係もない日でして…





なーんてことを思ってると
こんなアツイ集団がこの世にいたそうで
自分も薬剤師国家試験がなくて
東京に住んでいれば
この革命運動に身を投じていたことでしょう





なんてことを思っているうちに
色々考えたことをちょっと書きたいと思います





さて、格差社会が騒がれている昨今でありますが
この格差社会、何が問題かって
一つに『格差の固定』ってのがあるんですよね
収入格差がそのまま子供の教育レベルの格差に反映され
上流社会の子は満足な教育を受ける事が出来
高学歴→高収入が約束され
下流社会の子は満足な教育が受けられず
低学歴→低収入となり
一度、下流社会に脚を踏み入れたら抜け出せなくなる
この『格差の固定』
これが格差社会の大きな問題の一つになっております





この『格差の固定』の元になるもの
それは教育機会の格差に他ならないわけで
上流社会の子は日教組の洗脳に見切りをつけ
塾に通うことが出来
そして私立中学、私立高校、そして…となるのに対し
下流社会の子は日教組の洗脳を受けるか
それすら全く受けないか
どちらを選択してもまともな教育を受けるには程遠く
極端な話、九九も怪しい状態で社会に出るハメになるわけです





そう、つまるところ
格差社会を生み出すのは
教育の機会の格差による格差の固定
これこそが最大の問題となりうるわけなのです





ここに2人の人間を例に挙げます





Aさん
父親は東証一部上場企業の役員
全寮制の某有名私立男子中学→高校
そのまま東大理?から工学部
そして大学院博士課程後期に通う27歳(童貞)





Bさん
父親はタクシーの運転手
地元の公立中学から公立高校中退
そのままフリーターをプラプラしてる27歳(イケメン)





この2人の…恋愛に対する格差を考えて下さい
Aさんは…まず高レベルの私立中学に通うためには
塾に通わなければならず
そして小学校での学校生活などないに等しく
言うまでもなく小学校では女子に嫌われ
塾でも大体がクラスに女子もいない状態
そして中学になれば全寮制の男子校なので
6年間で女の子を見る機会が10回程度
更に大学に入れば女の子と仲良くなるには最も絶望的な工学部
しかもそこのドクターにまで行く始末…
正直、こんな生活を送って童貞を捨てろ、というのは
九九を習う前にフェルマーワイルズの定理を証明しろと言うようなもの
それに対してBさんは…
多分、47都道府県の県庁所在地を漢字で正確に書き出すより
セックスする方が簡単
そんな感じでしょう





そう、彼等の間にあるのは
Bさんがイケメンだなんだとか
そんな個人的なパラメータなんかよりも
その教育機会の格差なのです
そう、恋愛教育機会の格差が最大の問題なのです
そう、Bさんがシュレディンガー方程式を学んでいるとき
Aさんはまだ九九も7の段が覚えられない
それくらいの格差があるのです





さて、格差社会の問題は
その格差の固定化を生む
教育機会の格差が大問題なのですが
この恋愛格差社会の問題も
この機会の不均衡
これが格差の固定化につながり
問題がより深刻になるのです





更にこの問題の解決の上で困難さを増す要素があります
それは学習機会の不均衡は一人で解決しようと思えば出来るのに対し
恋愛機会の不均衡に関しては
一人で解決するのは著しく困難である、ということです





例えば東京大学に入学するのに
ある特定の職業に就労している者の子息は
その入学を認めない
そんな項目があるでしょうか
言うまでもなくありません
確かにAさんに比べてBさんが東大に入るのは
非常に困難であるのは想像に難くありませんが
しかし公立中学、公立高校に入学しても
必死で頑張りさえすれば
センター試験である程度の点数をとり
東大の二次試験で良好な成績を修め
合格に辿り着くことは出来なくはないのです
そう、所詮数学などたくさん問題を解いていれば
数学オリンピックなどではなく受験レベルならば何とでもなるし
他の教科にしても結局は同じで
確かに環境の上で非常に困難だとは思いますが
それでもやって出来なくはないわけです
それに対してAさんが例えば高校生で童貞を捨てる
そんなことが可能でしょうか?
確かに必死に頑張れば1日8回自慰行為をすることは可能かも知れません
(事実、僕の先輩は1日8回の偉業を達成し寮でエイトマンと呼ばれていた)
しかし童貞を捨てるというのは相手があってのこと
東大の試験に受かるのとは訳が違います
そう、幾ら自分が必死に頑張ったところで不可能なのです
一つだけ、自分だけの頑張りで捨てることが出来る手段がない訳ではないですが
それはあくまで某国の国技であって
法治国家たる我が国ではそれは犯罪行為として認識されている行為である為
それは考えないものとして
そう、この機会格差が生み出す格差の固定化は
避けられないものになっているのです





更にです
例えばBさんが一念発起して27歳にして大検を受け
大学受験をすることは出来ます
そう、27歳から九九からやり直して大学合格は…本人の意思次第で可能です
システムが許している以上
試験との戦いだけなのですから
しかしながらAさんが一念発起して
恋愛の九九からやり直す
それは不可能なのです
そう、これは相手がいてのこと故に
27歳で九九の7の段が怪しい人間など
誰がその先を教えてくれようか?
そういうわけです
そう、ここでもやっぱり格差の解消は不可能となり
そして格差は固定化されるわけです





以上のことを考えると
こと恋愛格差に関しては固定化されたが最後
一生、下流社会に生きるしかなく
つまるところ恋愛上流階級社たるDQN生活こそ
生物としての人間としては勝ち組なのである、と思うわけです
そう、ウィルスを見て分かるように
生物の究極の目標は自らの種を後世に残すことであり
その種の保存レースとしての生命として勝ち負けを捕らえると
どうしても彼等を勝ち組と言わざる得ないなあ
そう思ったホワイトデーでありました、まる